4か月ほど前に『権利のための闘争』読んだ

4か月ほど前にイェーリングの『権利のための闘争』を読んだのでその感想を書く。図書館で借りて読んだので今は本が手元に無いし、細かい議論も覚えてないので、曖昧な感想になる。

 

権利のための闘争 (岩波文庫)

権利のための闘争 (岩波文庫)

 

 

ドイツの法権利Recht思想において最上位に位置する、あるいは法権利の基礎付けとなるものは国家であるらしい。こうした性格は西欧-社会契約論と比較すると分かりやすくなるので比較してみる。

 

宗教改革が開始される以前つまり欧州が普遍catholic宗教の秩序によるキリスト教共同体respublica christianaであった時代には、農民・貴族・国王から成る階層的封建秩序は神の秩序であった。すなわちトマス・アクィナスの法理論を引けば、神の法とそれが人間理性に映じた形態たる自然法、人定法(万民法、国家法)という静的な法秩序によって人間の共同体が律されていた。かような社会にあっては個人は自らが持って生まれた領分を超えないことが神の意志に適う正しき生であったわけである。

しかし宗教改革によって普遍宗教はもはや普遍ではなくなってしまった。万民に妥当する秩序の基礎付けが分裂し、崩壊したのである。加えて宗教戦争、コンフェッショナリズムの時代の経験は欧州をして否応なく政治と宗教の分離に歩を進めせしめた。さらば神や宗教に代わるべきものは何か、これに代わって人間の、世界の秩序を基礎づけうるものは。それが自然=人間理性であった。グロティウスの法理論が典型的であると思案するが、宗教分裂の後に必要なのは「たとえ神が存在しなくとも妥当であるような自然法」を発見し、理論化する作業なのだった。神が存在しなくとも2たす2が4であるのと同じくらい確かな規範、そしてこれから導出される共同体。社会契約論の開始点は「自己保存を全うすべし」という自然法であり、これは主観的な立場からみれば「自己保存権」という自然権であった。社会契約の理論は細かい相違点はあれど、皆一様に自然権を享有する個人を前提として共同体を導出せんとする。実在するのは個人であって、国家・社会*1・共同体は個人の権利を保護するための必要悪的な機械にすぎない。であるから共同体・国家が個人の自然権を侵害するならば、そこから逃亡するなり、体制を転覆するなりが権利として承認される。ここで社会契約論では徴税や兵役を説明できないということが問題となる。なぜなら徴税も兵役も、国家がそれを保護するために創設されたところのもの、つまり財産権と生命を、国家自らが侵害することに他ならないからである。

 

ドイツ精神にとってはこうした個人から全体を導出する国家理論は受け入れがたいものであったらしい。正直そのはっきりした理由はよく分からないのだが...。概してドイツの政治理論は社会契約を「機械論的」として拒絶したし、これに国家有機体を対置したのであった*2。国家有機体論にしてみれば、丸裸のアトミックな個人がまずあるとする社会契約論は経験から乖離しているのである。全ての個人は何らかの共同体の一員として、生まれてしまう。個人はただそれだけで存在しているのではなく、国家と国家の定める法権利秩序に含まれて初めて権利を享有し、これを国家の内部において行使しうる。個人の権利Rechtは国家全体の法Rechtに分かちがたく組み込まれており、国家法は個人の権利の基礎付けとなり、個人は権利を行使することによって国家法に生命を与える。この有機的連関において法objectives Rechtと権利subjectives Rechtは一体となっている。このような理論の内部にあっては、国家による権利侵害は原理的には不可能となる。国家法を超越する規範は存在しないのであり、権利は法に有機的に組み込まれているからである。国家による個人の権利侵害とは、国家による自身に対する侵害であり、国家の自殺に他ならない。権利侵害は私的領域内部において生じるのであり、かような権利侵害について断固とした闘争を行うことは国家共同体とその法秩序を健全に保持するために必要である。個人の権利が侵されることは国家の法が侵されるのと同義だからだ。国家有機体論においては社会契約論ではそうだったように国家による個人の犠牲強制も大した問題ではない。個人が自らの権利を保証する国家共同体に身を捧げることは「不正」ではなく、「正しいこと」である。国家を超える価値判断の基準など存在しないからだ。「実に異教的なことに、国家の目的が道徳の法則になる*3

 

個人が国家共同体に包含されることによってのみ権利主体として承認されるということになれば、共同体に加入できる個人の属性が問題となる。逆に言えば、加入するにふさわしくない人間は権利享有主体として見なされない。国籍獲得に関してフランスの場合は出生地主義がとられた一方、当時のドイツでは血統主義がとられたわけだが、こうした相違の背景にはドイツの反社会契約、反個人主義的な精神があるのではないか。フランスにおいて国民とは意志の共同体*4であったが、ドイツにおいてかような個人の主体的決定をもとにする政治的国民概念は見向きされなかったのだ。1871年まで完成しなかったドイツの国民国家形成過程においては、言語や出自や文化と言った外見的に客観的な所与条件がドイツ的国民概念として把握された。形而上ではなく形而下が、精神ではなく血が、「ドイツの国民」を結び付けた。

 

つまるところ、国家の意志(って何?)が最高規範であって、個人の権利はその中でしか認められないのである。これトマス・アクィナスの法理論で神の意志=神法が占めていた地位を国家意志に置き換えただけなんじゃないの感がある。今や神の秩序は地上における神たる国家の秩序に置換された、といったところか。ドイツの政治思想を全体的に俯瞰してみるとやはりどうも中世的秩序、身分制階層国家に対する憧憬があるような気がする。神聖ローマ帝国に対する憧憬?しかし第二帝政が「ドイツ国民による福音主義帝国」と称されていたように統一以後ドイツのアイデンティティには旧帝国Alten Reichやカトリック的普遍主義との決別があると見てもいいような...そういえば今ヴィンクラーのドイツ近現代史を読んでいるのだが中世反ユダヤ主義の世俗化・合理化・科学化した形態が近代反ユダヤ主義=反セム主義であるという記述にはハッとさせられるものがあったな。ついでに言うと1871年ドイツ統一以前には「国民的」という言葉は「反封建的」を意味し、自由主義ないし社会主義のつまり反保守主義の専売特許だったのだが、これが統一から10年も経つと「反国際的」という意味に変化して保守主義のスローガンになってたらしい。左翼思想であったナショナリズムが右翼思想に取り込まれるという現象は何もドイツに限った話でもなかったようだ。

 

日本国憲法に限らず自由主義諸国の国制を規定するのは先の社会契約論である。すなわち神や国家に由来するのではなく、人間本性に由来する権利とここから導出される国家。しかし別に珍しくもない反論だが、日常的経験に照らしてみれば私は社会契約などした覚えはない。どういうわけか、私が生まれる前から存在する日本という国家共同体の一員として生まれてしまっただけである。つまり国家有機体論の方が我々の経験に近い理論ではないか。まぁ私は今日の政治社会について特にどうも思ってないし、内戦や暴動を別にすれば世間で起きること全般について特に何も感じません。別に日本も滅んでいいと思います。

話がどんどんずれていくな。

*1:17世紀頃にはまだ国家と社会の分離は考えられていなかった。ロックにはその兆候が見られるが、明確に認識されたのは18世紀以後のスコットランド啓蒙、アダム・スミスと彼の政治経済学を吸収したヘーゲルにおいてである。

*2:国家有機体論とか言いだしたのは誰ぞやという質問を以前某政治学研究会で報告者にしたことがあったのだが、分からんという返答があった。シュレーゲルとかドイツ・ロマン主義思想やこれに影響したバークの保守思想(ハノーヴァー朝の官吏ブランデスとレーベルクがドイツに紹介)に由来するとは聞くが。そうなると有機体論は端からフランス革命-社会契約の対抗原理だということになる。私が調べたわけじゃないから何とも言えませんが...

*3:トーマス・マン魔の山

*4:「国民の存在は日々の国民投票